仕事の半分はしょうがない
ここのところ、終わりもしないし、終わりの見えないプロジェクトで、人は引き剥がされ半分くらいはしょうがないと1人諦めつつ仕事をしていた。
諦めたのは「思い通りにやること」で簡単に言うとさっさと終わらせてより利益率の高いプロジェクトにして、次のプロジェクトに取りかかろうというというわけだ。
このタイミングで嫁がインフルエンザにかかったので慌てて予防注射を打ち、可能な限り看病?とかご飯や家事をやった。基本定時で上がったので、作業はより進まなかったのだが、以前の会社では考えられない行動だったなと自分自身で驚きを隠せない。ホント良い転職だった様に思う。
あと実家がを買ってくれる人が見つかったようだ。使わない資産は税金だけを取られてくからホントに邪魔なのだ。身の丈に合わない資産なら尚更。割と良いニュースだ。
今週は割と良い一週間だったかもしれないな。
仕事は(結局)終わらない
新しい職場に来て半年以上が過ぎ、ブログの更新も順調に滞り始めた。
今の職場といえば、以前勤めたブラック企業と比べれば至って勤務時間が安定している。
ただそれも時と場合によるもの。最近はふと面倒で重い仕事を任され、以前ほどでないにしろ残業が増えてきた。重い、まあ重いのだが1番面倒なのがやったことない内容なのであまり成功しているイメージがわかないことだ。
技術職なので、割と専門的な知識を要される。そして、慣れないプロジェクトメンバー。どうもうまくいかない。上手く行くイメージが沸かない。延々と調査や書籍を読み漁る。時間は過ぎていく。
あれ?
前の会社のときと同じになってないか?
ブラックな会社のあの頃と。
一旦、肩から思い込みの重荷をおろして、自分のこと、やりたい生活を考える。
パーフェクトな仕事はしない。
自分にとってのパーフェクトは他人にとって大した意味はない。
80点くらいで良いのだ。
今までも辛い仕事をしたことはあったけど、大した成果はなかったし、何とか乗り越えてきた。
さ、帰ろう。
簡素生活6ヵ月経過
以前の生活スタイルを変えて、簡素に暮らしたいなと思って、色々やってみて、半年くらいが経った。
仕事も変わったし、生活も変わった。
主にやってきたこととか、変わったことは以下のような事。
物(特に衣類)を減らした
物(特に衣類)を増やさない
運動する
家でご飯を作って食べる
野菜を多く食べる
仕事だけする生活をしない
基本的には最初の2つが簡素な生活に必要だと思っていて、あとのものは副産物的な要素のあるものなのかなと思う。
以前と比べると、ものは減り、ものに束縛されている感じはなくなった。ただ、最近またモノを買うようになってきたと感じている。
モノを減らすときは、使う物以外捨てると言う考え。
買うときは必要だから買う
となるのだが、ここでは本当に必要なものなのか、モノが増えるけどいいのか、代わりにモノを減らそう、などと考えたりする。
モノを捨てるときは割と分かりやすいので自分の考えも明確で、パートナー嫁にも理解してもらえた。
ただモノを買うときの考えはそれとは異なる。モノを増やすことや、要らないものを家に置くことに対してある程度の嫌悪感を持つというか、考えを持つ必要がある。簡単に言うと、ミニマリスト本を読むなりして、モノを増やさない(多い事はよろしくない)というロジックとエッセンスが頭にある必要がある。
嫁は本は読まない。モノをたくさん持つのが好きで毎週のように買い物をしている。モノを買う敷居が異様に低く、要らないものも要る(というか欲しい)、だから買うという事もよくある。
なので、簡素に暮らそうと考えるが一人ではないので、そう簡単にはいっていない。と言うのが現状だろうか。
スッキリというほど家のモノを減らすことはできていないけれど、半年でパートナーとの相違点に関して、許容できるようになった。と言うか、他人は変えられない事を再認識した。僕と彼女は別なのだ。
案外、そこに気付けたのは良かったかもしれないな。
ここ最近の野菜
最近よく料理をするようになった。特に転職し、業務時間が安定してから、衣食住にまつわる洗濯、炊事、掃除に手をかける事も時間も増えた。
料理と言っても、凝ったものは作れない。あくまで簡単なもので、かつ野菜中心のものだ。野菜はお肉と比べて日持ちするし、旬の物は安く、ほとんど生で食べられる。あとお肉と比べて、食べたあと身体が軽く瑞々しさを感じられる。それに、eat and runの影響もある。
野菜を1種類だけ食べるより、数種類が混ざった方が味も食感も複雑になって楽しい。炒めたり、煮たり、混ぜるだけのサラダにしたり。
暖かくなって、季節が変わると、スーパーに並ぶ野菜の変化に気づくようになった。値段も変わり、冬に安かったものは高くなり、旬の物は安くなる。春先あたりから調理してみて、これはいい!となった食材が2つある。カブとズッキーニだ。
カブの事を丸い大根位に思っていたがとんでもない。断然、柔らかく、甘い。火もよく通るので余り調理しなくても良くて、味が染みやすい。僕は炒めるのが好き。
ズッキーニも西洋のキュウリ位に思っていたがとんでもない。瓜ではあるだろうが、歯ざわりが丁度良く、煮てよし、火を通してもよし、生でも僕は食べられる。サラダに入れるのと、軽く炒めて焼いた厚揚と食べるのが僕は好き。
2つに共通しているのは食べごたえと、扱いの簡単さだ。家であまり凝った料理は要らないし、作れないと思っているので、ここ最近はこの2つの野菜はとても重宝している。
過去のお金
お金はひとを狂わせる。狂った人はお金、そして自分をコントロールできなくなり、次は人生が狂う。
よくありそうな話だ。
お金がある時は良かった。好きなモノを手に入れて、周りはチヤホヤし、彼を恐れ、言いなりになった。だが、今はどうだ。誰も彼の話を聞きたい人間はいない。一度大金と偽物の幸せ、パーフェクトな自分の虚像、自分は頑張ってきたという自負は、彼の言葉を卑屈にさせ、つまらなくさせた。何を言っているのかもあまり理解できない時さえある。
昭和の成功者とでも言うのだろうか。団塊の世代のリーダーだろうか。男尊女卑にも似た亭主関白で内弁慶、外面は良い。高度経済成長期よろしく仕事はバリバリ、土日はゴルフで、夜は酒か麻雀。お金は自分で管理して、遊び、女遊びもそれなりに楽しんだ。文句があるなら言ってみろ。金を稼いでいるのは俺だ。不満があるならもっと稼いでやる。文句言うんじゃないぞ。お金を稼いでいるのは俺だぞ。
戦後間もなく生まれ、何も無かった苦しかった時とは比較できない。彼は欲しいものを手に入れた。何でも言うことを聞く妻と子供も手に入れた。
今は誰も彼の話を聞かない。誰もが彼の話がつまらないのを知っている。彼にはもうお金もない。
彼はお金を手に入れた。
でももうそれはない。
過去のお金は意味がない。
過去のお金は彼に虚像だけを与えた。
彼は戻り方は知らない。
山を走ってみた
先日、4月のとある週末に山に行った。場所は埼玉の秩父方面。友人がキャンプに行こうというのだ。ただこのキャンプ、オッサンだけであーじゃないこーじゃないと、お酒で呂律が回ってない状態で騒いだ挙句、近くのキャンパーに毎度迷惑をかけるという割と生産性の低めで、とびきり楽しくくだらないイベントなのだ。しかも、山に来たのに山らしいイベントはバーベキュー(と酒)ばかり。少し物足りなさ(と馬鹿さ)を感じていた僕は前々からやってみたかったトレイルランニングを一人でやってみようと思い立った。
初心者でも行けそうなコースが近くにある事を調べて、とりあえず手元にあるランニングウェアに身を包み、1人山道へ向かった。
山に登るとなると、やたらと装備を揃えろみたいな事言われるが、それは順番が逆でまずは山に登んないと山が楽しいことも分からないし、とりあえず行くことにした。ショッピングしたいのか、山登りたいのか分からなくなる状態は避けたかった。
結果から言うと楽しかった。山に行くのは数年ぶりでドキドキしたし、山を走るという新鮮さも素晴らしかったと思う。
ただなんだろうか。山に行くこと自体になかなかの大変さを感じたのも確かだった。それなりに移動費もかさむ。時間もかかる。身体もバキバキだ。あの心地よさを思い出し、もっと行ってみたいと思いながらも、この気だるさと迷いはなぜか拭えない。ナニこの不思議な感じ。
憧れのトレイルランニングをやれたのに、本当のトレイルの楽しみを知るのはまだ時間がかかりそうな気がする。
嗚呼。
ゴールデンウィークが終了した
読んで字のとおりだが、ゴールデンなウィークは終了した。今年は2日ほど休みを取れば10連休という、まさにゴールデンなウィークであったようだ。
世間様にとっては。
僕はと言えば、毎年のことながら有給を取ることもなく平日は出社し、休みだろうとあまり出かけなかった。せいぜい、バスケして自分の下手さを怨み、家族と食事をし、池袋辺りをウロウロしたぐらいだろうか。あとは衣替えと掃除をしていた。
この人の多い期間に、わざわざ人の多いトコロに行くなんて気が触れてるとしか思わないため、どっかつれてけと毎年ヨメからのブーイングを頂く。今年は呆れられていた様な気もするが。
去年のゴールデンウィークの事は思い出せないし、多分同じ様な感じ(か、仕事していた)だと思うのだが、今年は盛大に掃除をした。まさに捨て魔と化した。
自分の服は最低限になるようにした。スーツ関係とアウター以外はおおよそ、引出し一段分に抑えた。加えて写真やアルバムをスキャンし、捨てられるようにした。使わない家電もこれから捨てる。
おお、やった。
さらに嫁にも着ないものは捨てさせた。かなり納得はいっていない雰囲気ではあったが、45Lのごみ袋にすると嫁一人で7、8袋は処分していた。
やった。
嫁は物をかなり持ちたがるタイプなので、よく頑張ったと思う。それでもニットだけで10着は残していた。多分、7着は来シーズン買い替えられそうな気がするが。
今まで、割と何も嫁の持ち物については強く言わないようにしていたが、去年の個人的なミニマリズムブームと冬物がアチコチに散らかりのピークが重なり、捨て魔と化したわけだ。
ヨメのご機嫌取りに、酒を飲みに連れていき、買物や母の日のプレゼントには盛大に散財した。
書いてて、つまらなそうなゴールデンウィークだなと改めて思った。いつも通りなので僕は割と幸せだけれど、来年は何かしたい。人が少ないところがいい。のんびりして美味しいものを食べたい。今のところイメージ湧かないけど、来年はちゃん思い出を作りたい。