業界の逝く先
なんてわかるはずがない。僕はやさぐれIT戦士なんだけれども、数年前にやれなんだーかんだー流行ったものは今は当たり前になっていたり、見なくなっていたりする。濁流で、激流なのがIT業界だ。IT業界への不満は別で書くとして、何かと流行り、と言うものが存在していて、こう有れば良いよねみたいな指標のハードルの移り変わりも激しく、高い様に感じている。
今日は会社で目標設定なるものの説明があった。その仕組、内容自体は手が込んでいたし、論理的でもあった。
ただ、こう言った人事評価的なものは往々にして違和感が生まれるし、その正しすぎる論理性に嫌気が差したりもする。自己啓発本の様な違和感だ。
その内容の肝となるのが「あんたは何がしたいのか」なのであるが、これが僕にとってはかなり難題なのである。聞いた感じ新卒の入社試験時に聞かれそうな事であるのだが、そこは嘘を嘘で固めた日本の就職活動では、それっぽい事を言っておけばそれなりになる(なった)のであって、この年で真面目に考えるともう嫌になったりするレベルの議題なのだ。
因みに、前職でもこの手の目標設定みたいなのがあったのだが、「それ、違うよね」だの「(こっちは責任取らないけど勝手に)やればいいじゃん!」等と言われ、何か結局は会社の方針にフィットしないと「やりたいこと」は捻じ曲げられるという経験をしている。
まあ、会社の意向に沿う度合いにも依るだろうが、少しは必要な事位は理解している。ここ最近、加齢臭を疑われる位には大人だ。
そんな事を経験したからだろうか、そんなもんは僕は「会社が(責任持って)やって欲しいこと言えばいい」と真面目に思っている節がある。本当にやりたいことをやっている、もとい、やりたいことがわかってる人なんてそんなにいるのか。
少し考えて、しいて言えば「何もやらなくていい」のが仕事においてやりたい事かもしれないと言う答えに落ち着いた。
今回も嘘の目標設定をする事になる。
クズかよ。
クズ界のエースとしての自覚
おじいさんが電車でソニー製テレビのカタログを熱心に見ている。僕はその熱心な姿が気になり、横から覗き込む。覗き込み過ぎたのか、おじいさんは気になるようだ。僕はすみませんと謝り、継続して覗き込んだ。迷惑なゴミ野郎である。
僕はしたたかに酔っていた。
その日僕は結婚式の二次会にお呼ばれし、若い二人の門出を祝い、いい気持ちで三次会にも参加した。三次会の記憶は余りない。馬鹿である。
誰かと昔の事をぶり返して少し言い合いになった。その人は先に帰った。何故そんな事をしたんだろう。きっと自分の思っている事を思った通りにしたい等と思ったのであろう。
あとは馬鹿なことを繰り返していたに違いない。自分の言いたいことを周りの迷惑も考えず、ゲスな事や、人を馬鹿にしたような事を言っていたに違いない。その場所で1番生きている価値が無いのは僕だったに違いない。
クズである。
この手の経験には過去にも身に覚えがあるし、思い出す度に自分を消したくなる。消えてなくなりたい。
飲物や食物の味なんてこれっぽっちも覚えちゃいない。
去年辺りから、ホントの話で人は何故生きているのかと考えることがある位、困った子羊ちゃん的メンタルをこじらせている。当然、答えなんてないし、毎日生きていくしかない。自分のクズさにガッカリしたとしても、明日は来るのである。
クズが治らなくても、清く正しく生きたいなどと思っているわけで。
やっぱり、
クズは酒は飲まないほうがいい。
クズはお祝の場でもきっちりお祝いしたら、さっと帰ろう。
クズが呑むお酒はありません。
よし、今日からはドブ川クズ男として生きていこう。
猛省。
ランニングについて。
この一年ほどランニングをしている。
正確には2014年10月から、今でも細々と、やる気の濃淡はありながらも走っている。
最近は単純に走ることが好きになっている。ただ、この感じが本当にいわゆる「好き」と言うものなのか、実は自分でもわからないという不思議な状況だ。
走り始め、最初はあり得ないほど苦しかった。自分が想像していた半分も走れない自分に愕然とした。時には脚や、腰を痛めたし、古傷である足首が痛くて、日常生活に支障をきたすこともあった。
それでも休み休み、自分のペースで今も走っている。この文章を書いている現在は風邪をひいているため、外に走りに行けないが可能なら今日でも走りたい。
走り始めたきっかけは2つある。1つは運動する機会を確保したかったからだ。当時は少なからず自分の身体が鈍り、学生の時には想像できなかったフォルムに仕上がりかかっていた。運動できる服とランニングシューズがあれば、いつでも1人でできるランニングはお一人様性分の自分には至って向いていた。低いコストも続けることに一役買っている。もう1つは当時の仕事で、僕の性格が心配性である事に気付いた人事畑の人が運動や、瞑想を勧めてくれたからだ。心配性なことが更に心配性になるほどに心配性をこじらせていた僕は早速運動しようと考えた。以前はよくバスケットボールをやっていたが、人も物も必要なので、始めるのが簡単な走ってみることにしたのであった。
今のところ、自分にとって走ることは性にあっているようである。しかし、学生時代を思い出すと何も突出して上手でなかった僕にとって、長距離走は得意なものであった事を思い出した(注目されたりするほどではないとしても)。
もしかしたら、とても性に合っているのかもしれない。
転職して4ヶ月後の今。
僕はこのところ暇で仕様がない。猫も杓子もお呼びでない。会社に行っても仕事がない。
2015年の年末辺りにブラックIT企業を辞めて、(多分普通で)それなりの規模があるIT企業に転職した。前職は業務内容や方針に不満もあったし、新しいことに挑戦したいという気持ちもあったが、平たく言うとブラック企業の待遇、ビジネスに未来を感じることが出来なかった。業務過多で顔色が悪く、太り、耳からよく分かんない汁がただれるマネージャーの姿が忘れられない。
転職して、一年の3分の1が過ぎた。
先日、ようやく配属先が決まるまで、別部隊のお手伝いをしていたが、ようやく配属が決まったと思ったら暇なのである。最近の業務は主にネットサーフィンであることは秘密である。
おまけに部署が決まらず、業務もふらふら他のことをやっていたせいで、仲間等がほぼ出来ないという二重苦。
予定されている案件はお一人様派遣業務の(たぶん)三重苦(たぶん)。となっている。
元ブラック企業に勤めていたせいか、仕事が無いと不安になる。20代の時に仕事がない時は不安すぎてチビリそうであった。
流石に30歳を超えた今なら、インターネットだけの業務の日もあるよね~と、大らかに捉えることも出来る様になってきた。
ただ、そろそろ仕事自体したくなくなってきた。
ワードローブについて。
個人のもので、手を付けやすいものといえば、やはり服(ワードローブ)ではなかろうか。個人的なものだし、他の人から勿体無いと単純に言われることもない。主に嫁のことだが。
早速、自分の持っている服をリストしてみる。半年程前にいくらか処分していたので、残したものはそれなりに厳選されているはずだ。
結果、多い。思ったより結構多い。世のミニマリストブロガー彼等彼女等と比較すると多いのだが、比較対象が良くない可能性もある。(迷走)と言うか、あの人たちの頭がおかしい可能性あるな。(失礼)数が目立つのはTシャツやら、スポーツウェア、靴下、下着、帽子なんかで、数えるのを諦めてしまった。全部で60か70と言ったところだろうか。
何より考えなければならないのは、自分の生活だろう。
まず僕はサラリーマンである。ビジネスカジュアルとかいう超曖昧なルールの敷かれた会社に勤めてるがゆえ、日常的に着る服はある程度縛られる。シャツやら、ジャケットやら、チノパンなどは基本着ないといけないし、これは完全に僕の責任なのだが、ビジネスカジュアルだと色んな場面を考えるのが面倒なのでスーツを着ることも多い。休日もビジネスカジュアルっぽい格好すれば問題にはならないかもしれないが兎にも角にもある程度数が要る。
もう1つ、僕は運動をやるようにしている。こればっかりはビジネスカジュアルでやりたくないので持っておきたいところである。
あと、至極当然なのではあるが、季節が存在する。ミニマルだからって極端に薄着で、冬に寒い思いをするのはあんまりだし、何より体調崩したりするのは好ましくない。
最後に、ワードローブと言うより、ワードローブに関わる生活的な部分だが、小まめに洗濯する事が肝要だろう。週に1回の洗濯では下着とシャツを7セット持つか、A面B面ひっくり返すか、の思わしくない選択を迫られることになる。
少し減らすイメージができてきたかな。小分けにして減らせるか検討してみよう。
整理初めについて。
いざ、物を整理してやろうと思う。が、目的は自分の心地良い状況を作るのが目的であるので、何も闇雲に捨てれば良いというわけではない。ましてや、僕は既婚者だし、相手はマキシマリストと来ている。
しかしながら、色々な本を読んで、整理しやすくする目的も兼ねて、物を減らすという方針については、大いに同意している。ただ闇雲に捨てれないので、整理してから着手したいところだ。僕の憧れであるサイト、SLJ(simple life journal)には、所有物が綺麗に並べられている。しかも、このジャンル分けが、なかなか秀逸なのである。
アクセサリー、インテリア/雑貨、ステーショナリー、デジタル家電機器、バス&トイレ、バッグ/ポーチ、ヘルスケア、ワードローブ、家具/収納、掃除/洗濯、本/ソフトウェア、調理/食器、靴、食べ物/飲み物
しかもこれが130個程度にまとめられているから驚きだ。(食べ物/飲み物まで!)
まずはこのジャンルを拝借して、ジャンル別に物を整理していくのがわかりやすくて良いのではないだろうか。そうだな、そうしよう。
家族は関係無く、僕一人で着手できるものから始めてみよう。
シンプルな生活について
ここ最近、いや数年、ミニマルや、断捨離という言葉が世の中を賑わしている。
形や表現はそれぞれ異なるが、要はみんなシンプルになりたいのだと思う。人間は物事を複雑に考えてしまうから、それをスッキリしたいのだろう。自分が思うに生真面目ないしは神経質な質の人はこの手の話に興味を示しやすい。
多分に漏れず、私も神経質な質で、思いっ切りこの手の話に食いついている。「ボクもの」には感銘し、ブログ『simple life journal』は大好きだし、遡ると下重暁子さんの「持たない暮らし」を楽しみ、や漫画「孤高の人」の主人公 加藤文太郎の生活を羨んでいた。
大学生の頃には大量に買うことに勤しみながらも、処分する快楽も何となく理解し、友人に不思議がられていた。
素質はあると思いつつ、ここ半年で自分に必要なものを見極めながら、嫁に白い目で見られながら物を捨てている。
ここに色々記録を残してみたいと考え中です。