Lenovo Chromebook S330 を手に入れた
仕事で多少コードを理解する必要が出てきた。いや、書くことになるかも。いや、書きたい。今まで仕事で触りたくても触る機会がなかったプログラミングができる。今いま仕事は楽しくないが、これは楽しくなるかもしれない。
しかし、仕事でプログラミングはほとんどやったことがない、勉強が、訓練が必要だ。会社のセキュリティのために自由を捨てたPCは使いたくない。新しいPC環境が欲しくなった。なれたWindowsか、いやここはMacか。。。まてまてお金はない。でも安いWindowsなんてなぁ?
Chromebookにすることにした。だって、
- 安い
- Linux使える
- 小さい
今やクラウドサービスも充実してるし、なんとかなるだろう。スペック求めたいところだが、おっさんは金がない。この際スペックは問わない。ということでLenovo Chromebook S330の新古品が手に入った、25000イェン。
https://www.lenovo.com/jp/ja/notebooks/lenovo/lenovo-n-series/Lenovo-Chromebook-S330/p/88LGCS31095
CPU:MediaTek MT8173C (2.10GHz, 1MB)
Mem:4GB
ストレージ:32GB
低いな。。通常のWindowsの感覚で行くとひっくい。でも、Linuxならいけるか。これが新世代PCってことで。少し使ってみてわかっていることとしては、コードの勉強したいなら別のIntelのCPU搭載のChromebookのほうがおすすめだ。理由はLinux(β版)を使った場合に不便に感じたCPUのアーキテクチャによるもので、Linux(Debian)のパッケージがARM向けのものはないことがあるからだ。
今の所満足してますが、これから買う方はCPUで選択してもいいかもしれないです。
バセドウ病になったこと
つい先日、2週間ほど前にバセドウ病だと診断された。
そういえば、4月くらいから何かおかしかった。以前は5〜10kmくらいなら、割と簡単に走れていたのが、1kmも走れなくなっていた。3月から継続している在宅勤務のせいなのか、そうなのか、と思っていたが、何回走ってもすぐ疲れてしまう。何か胸が痛いような気がした。
あと、手が震え始めた、なんだこれはアル中になってしまったのか、と思い妻にはバレないようにして、何だかんだ酒は毎日飲んでいた。
決定的だったのは、6月中旬に体重の変化に気づいたことだった。5月の頭から5kgへっていて、今は更に1kg(計6kg)痩せた。最近洗面所の鏡で、顔がシュッとしたかもしれないと思っていたが、食事は少食なりに食べているし、酒も飲んでいる。
怖くなった。何か大病を患ったかもしれないと。
去年子供を授かったばかりなのに、どうしようかと思った。病院に行くのも正直怖く、仕事は暇なのになかなか足が向かなかった。
妻は、僕の症状を見てネットで色々調べてくれていたようで、「バセドウ病」ではないかと教えてくれた。バセドウ病は、僕にとって割と身近な病気で、母と妹が以前かかったことがあった。二人とも今は元気で、症状もない。安心した。僕はあまり風邪もひかないし大病を患ったこともないので、一層心配だった。
今は、正式にバセドウ病と診断され、専門医にかかって投薬治療を始めたばかりだ。ちゃんと治るかはわからないけど、よかった。ガンみたいな病じゃないし、コロナでもない。ちゃんと生活も仕事もできてる。でも、早くコロナもバセドウ病もない日が待ち遠しい。
エンジニアではなくなり、何か(非管理職)になりました
ブログを放置して2年。この2年間、思い返すと何だかんだ色々あった。振り返るには良い機会だったのかもしれない。
仕事で言うと、ここ2年で4回くらい所属組織の名前やら何やらが変わって、途中で覚えるのをやめた。今も少し曖昧だ。なぜにこうも名前を変えたがるのか。
そして年始頃に、完全に非エンジニアとなった。元々見積や、要件整理をやっていたので、そのツテで技術営業的な事をやってみてと言われたので、やっていたが、本職営業で事足りる事が分かり、お払い箱となった。
思い返せば、部長の指示が『(どうでもいいから、とにかく)売ってきて』だった事に早く違和感を感じ取るべきだったかもしれない。
とにかく、昔は完璧なITエンジニアを目指していた僕は、何かを作る人ではなくなってしまった。
寂しくもあり、行く先に不安もあるが、一生エンジニアをやれる人種では無かったかも知れないと変な納得感もある。
自分で仕事を探すところから、自分の仕事が始まる生活もそろそろ慣れてきたところだ。
2年ぶり
2年ほどこのブログを放置していた。理由は書くモチベーションもなく、書きたいことも無かったからだろうと思う。
何事も長く続けることは大事だが、難しい。
昔の記事を見返すと、びっくりするくらい他人のようで驚いた。こんな事をやって、考えていたんだなと。
2年も経つと結構な割合の身体の細胞が入れ替わると聞いた事がある。僕も2歳歳をとっておじさんになった。久し振りに何か書いたりしてみたくなったのだ。(5分)
年忘れ
会社のチームで忘年会をした。池袋の安居酒屋で、ワーワーピーピー騒ぐだけのなんとも楽しい忘年会であった。
最近思うのだが、人は忘れる事で正常な意識を保っているものと思われる。もう、忘れたくてたまらないのだと。本気でまじめに全てを頭の中に入れてしまうとパンクしてしまいそうになるのだ。少なくとも僕は。
運動であれ、酒であれ、何も考えない、時間を忘れ、ある事に没頭して、古い自分に不要な記憶を忘れようとしているに違いない。
頭が痺れるほど酒を呑み、ふざけた話を延々とする。売上の事なんか忘れて。
何なら昨日どうやって帰ってきたかも忘れている。二日酔いだ。今日は仕事のことも忘れたいくらいである。
そう思うと忘れる事はできてるっぽいので、良い忘年会だったのかもしれないな。と、エクセル資料を作りながら思うのであった。
野球の記憶
会社のイベントで週末草野球をやってきた。
会社の偉い人が広範囲にわたるお誘いメールを出したにもかかわらず、人が足りないという悲しい背景のもと、僕も参加する事にあいなった。
野球は本格的にも、定期的にもやってたことはなく、今回が10月に続いて2回目だ。体を動かすことは嫌いではないが、野球は難しいと思う。ボールが怖え。
僕が小学生のとき、夏休みには4年生以上の男子で地区対抗ソフトボール大会があり、夏休みの前半だけ夕方に八百屋のオヤジがソフトボールを教えてくれた。田舎だったので、場所は結構あって、小学校や農業試験場と呼ばれる施設の広場など、二、三ヶ所あった気がする。僕の地区には経験者はいなかったが、不思議とみんなできるようになっていった。
平日の夕方にソフトボールを教えてくれる人なんて、今やそうそういるとは思えないが、その経験のおかげで僕は大人になっても、最低限バットもグローブも操れるのだから、八百屋のオヤジには感謝しかない。
草野球は大して上手くもなく、結果も負けたが、楽しく過ごせたのは間違いなく、八百屋のオヤジのお陰だな、と当時のことを思い出した。