嗚呼、Kobe Bryant
先日、NBAのスーパースターKobe Bryantが現役を引退した。彼の功績については、僕が書くよりWikipediaやYouTubeを見た方が早いし正しい。
僕は漫画SLAM DUNKを読んでバスケットボールを始めた世代で、Kobeはその当時圧倒的な人気を誇っていた。彼のプレイや姿勢は当然なのだが、Michael Jordanと同じポジションで、ポストJordan、つまり次世代のNBAを担うのは誰かと言う話題性もあり、当時のエースはそのシューティングガードのプレイヤーが多かった様な気がする。なので人気を集めやすい立ち位置、戦略が流行っていたのかもしれない。
僕がNBAに興味を持った当時はNHKBSは何故か、MagicとKingsの試合が多かった気がする。ポストJordanの筆頭Pennyや、Chris Webber率いるオフェンシブなチームが話題だったためか、あまりKobeのいるLakersの試合を見る機会は少なかった。しかし、彼のプレイ、特にジャンプシュートは印象深く、後々に動画を馬鹿のように見た。
僕自身は試合には全くからっきし出れなかったし、上手いと言われたこともなかったが、Kobeの様にプレイしたいと思った。
そのKobeが引退したのだ。
シーズンの初め、テレビで試合の様子を見て、Kobeの元気が無いことは分かった。言葉数少なく、プレーに覇気はなく、キレも悪い。エアボールが目立った。チームも再建にあてるシーズンのためか、負けがかさんでいた。Kobeはシーズン限りでの引退を発表した。弱ったKobeを見るのは寂しかった。本人はもっと辛かったろうと思う。いつか人は今までやれてた事がやれなくなるのだ。
身体のせいか、心のせいか。
Kobeの引退試合は60得点したKobeがチームを率い、逆転勝ちすると言う劇的なものであった。素晴らしい。
久しぶりにバスケットボールをやった。Kobeの引退試合の興奮冷めやらない僕はブランクありありのオッサンである自分を鼓舞した。少しでも良いプレイをしたいと思った。ただそんなに世の中うまくできてはいない。下手は下手だ。練習もしてなければ当然のこと。いつかでもなく、すでに僕は今までやれていたことはできなくなっている。身体のせいか、心のせいか。いや、もとからの様な気もする。
僕は何のためにバスケットボールをやっているのだろう。下手になっていく自分を見たい奴などいない。では何故。
Kobeと自分を重ねる事なんぞおこがましくて出来るわけ無いけれど、できなくなる自分をどう頭の中で処理すればいいのか。バスケットボールをしたいのか。
誰しもいつかはバスケットボールをしなくなる。楽しいバスケットボールを見る側になる。それでもいいのかもしれない。バスケットボールを楽しめれば。
嗚呼、Kobe。貴方でさえもバスケットボールコートを去った。僕にはバスケットボールを続ける意味はあるのだろうか。