クズ界のエースとしての自覚
おじいさんが電車でソニー製テレビのカタログを熱心に見ている。僕はその熱心な姿が気になり、横から覗き込む。覗き込み過ぎたのか、おじいさんは気になるようだ。僕はすみませんと謝り、継続して覗き込んだ。迷惑なゴミ野郎である。
僕はしたたかに酔っていた。
その日僕は結婚式の二次会にお呼ばれし、若い二人の門出を祝い、いい気持ちで三次会にも参加した。三次会の記憶は余りない。馬鹿である。
誰かと昔の事をぶり返して少し言い合いになった。その人は先に帰った。何故そんな事をしたんだろう。きっと自分の思っている事を思った通りにしたい等と思ったのであろう。
あとは馬鹿なことを繰り返していたに違いない。自分の言いたいことを周りの迷惑も考えず、ゲスな事や、人を馬鹿にしたような事を言っていたに違いない。その場所で1番生きている価値が無いのは僕だったに違いない。
クズである。
この手の経験には過去にも身に覚えがあるし、思い出す度に自分を消したくなる。消えてなくなりたい。
飲物や食物の味なんてこれっぽっちも覚えちゃいない。
去年辺りから、ホントの話で人は何故生きているのかと考えることがある位、困った子羊ちゃん的メンタルをこじらせている。当然、答えなんてないし、毎日生きていくしかない。自分のクズさにガッカリしたとしても、明日は来るのである。
クズが治らなくても、清く正しく生きたいなどと思っているわけで。
やっぱり、
クズは酒は飲まないほうがいい。
クズはお祝の場でもきっちりお祝いしたら、さっと帰ろう。
クズが呑むお酒はありません。
よし、今日からはドブ川クズ男として生きていこう。
猛省。