タープで寝る練習をしてきた
最近どうも山に行きたい熱が高くなっていた。ただもう12月。東京はまだ本格的に寒いとまではいかないけれど、山は寒い。僕のような初心者は日帰り登山がせいぜいであろう。
ウルトラライトハイキングという、無駄なく軽くて自由なハイキングに数年前から憧れがあったが、登山道具は揃えるだけでもそれなりに高価なのでずっと足踏していた。僕が特に憧れていたのはタープ泊で、文字通りテントではなくタープを使って寝ることだ。自然をもっと近く感じる事が出来そうだ、と登る事よりそっちに興味を惹かれていた。
つい最近の週末、江東区の海沿いのキャンプ場で1人細々とタープで寝る練習をしてきた。
わかった事は「シュラフは大事」「タープで寝ることは可能」「経験が必要」だった。
まず、寒かった。夜明の午前四時ごろ気温の3度(iPhone調べ)になったあたりから寒くてぱったり眠れなくなった。それまでは少し身体を揺すったりしてなんとか寝たり起きたりを繰り返していたのだが、僕の薄いシュラフではSOLエマージェンシービビーライトでカバーしても3度が限界のようだった。シュラフは大事だ。すごくシンプルで当然なのかもしれないが明方の四時ごろが一番寒くなることも初めて知った。
余りよく寝たとは言えなかったが、タープで寝ることが可能だと自身の体験でわかった事は大きな収穫だった。張り方次第で居住性やプライバシーは充分確保出来ると思った。とても嬉しい事だった。家にあるやっすいBBQで使っているタープだった。でも大丈夫だった。
そして、登山もタープ泊も(というか何でもそうだが)経験が必要だと言うことを痛感した。ウルトラライトハイキングだってそうだが、自分に何が必要で何が使えて、何がしたいかを考察、準備した先に実現しているのだと思った。タープを張るのでも、初めての事で1時間近くかかったし、ポールやペグダウンのやり方も振り返ると間違いだらけだった。タープも3m × 3mは大きかったし、張り縄だって長すぎた。なんか張りが甘くてダルついたタープだった。
友人や嫁には「そりゃ寒いだろ(馬鹿なの?」くらいの事は言われたけれど、僕は楽しかった。春が待ち遠しい。
夜通う
先日からランニング熱が上がったものの病み上がりに加え、11月の寒さがあったのでどうも走る気が起こらないでいた。寒いし、風邪ぶりかえしたりしたらやだなぁと。
つい先日、通夜に行った。僕の前職の上司の奥様が無くなったとのことだった。辞める前から不治の病のような事は聞いていた。上司は仕事の権化のような人で午前3時まで受注できるかわからない見積を作り、その働きっぷりと熱意を僕ら部下にも強要し、ブラック企業の化身のような人でもあった。何人もの被害者、退職者を生み出し、僕はいつも屍を越えて生かされていることを感じて働いていたものだ。まあ、今や僕もその屍の一つになったわけではあるかもしれないが。
葬儀や通夜は20歳位から祖父の死を皮切りに出るようになって、死を考えるとても尊い機会であると思っている。目の前に死を感じて、周りの人と死を共有して。死ぬことが確実に待ち受けている現実と、それに反してくだらない生活を見て、いつも何かを考えさせてくれる。今は死ねないな、と当たり前のことを考える。
走りたいと思っても走れないあの人の、走りたくはなかったかもしれないけど走ることさえできないあの人の事を考えると、なんだか走るしかないなと思った。
別に走ることなんてしなくたって構わないけど、やりたいならやるしかないなと思った。
通夜から1ヶ月、毎日走ってみようと思う。やりたい事をやればいいと思う。
(追記)当然のように毎日走ってません。
復活
ようやく風邪から解放された。やっぱり病院に行くべきだった。それでも回復には5日かかった。11月は天気がおかしかったと改めて思った。
そしてようやく12月、あっという間に12月だ。朝夕は寒いものの11月中頃のように最高気温が1桁という事も今のところない。
先日ふと山に登り、ネットでトニーの映像を見ていたら、山熱とランニング熱がまた上がってきた。
山グッズとラングッズをネットで探しつつ、早速ランを再開したわけだが、しばらく走っていない病み上がりの身体は思いの外、動かなかった。肺が痛い。足も重い。たかだか5キロで筋肉痛にもなってしまう。体は正直ということか。
年末は諸手続のため、宮崎に帰ることにした。お金もかかるし、気が重いが折角なので山でも登ってこよう。地元の山を登るのは数年ぶりで少し楽しみではある。
仕事の半分はしょうがない
ここのところ、終わりもしないし、終わりの見えないプロジェクトで、人は引き剥がされ半分くらいはしょうがないと1人諦めつつ仕事をしていた。
諦めたのは「思い通りにやること」で簡単に言うとさっさと終わらせてより利益率の高いプロジェクトにして、次のプロジェクトに取りかかろうというというわけだ。
このタイミングで嫁がインフルエンザにかかったので慌てて予防注射を打ち、可能な限り看病?とかご飯や家事をやった。基本定時で上がったので、作業はより進まなかったのだが、以前の会社では考えられない行動だったなと自分自身で驚きを隠せない。ホント良い転職だった様に思う。
あと実家がを買ってくれる人が見つかったようだ。使わない資産は税金だけを取られてくからホントに邪魔なのだ。身の丈に合わない資産なら尚更。割と良いニュースだ。
今週は割と良い一週間だったかもしれないな。
仕事は(結局)終わらない
新しい職場に来て半年以上が過ぎ、ブログの更新も順調に滞り始めた。
今の職場といえば、以前勤めたブラック企業と比べれば至って勤務時間が安定している。
ただそれも時と場合によるもの。最近はふと面倒で重い仕事を任され、以前ほどでないにしろ残業が増えてきた。重い、まあ重いのだが1番面倒なのがやったことない内容なのであまり成功しているイメージがわかないことだ。
技術職なので、割と専門的な知識を要される。そして、慣れないプロジェクトメンバー。どうもうまくいかない。上手く行くイメージが沸かない。延々と調査や書籍を読み漁る。時間は過ぎていく。
あれ?
前の会社のときと同じになってないか?
ブラックな会社のあの頃と。
一旦、肩から思い込みの重荷をおろして、自分のこと、やりたい生活を考える。
パーフェクトな仕事はしない。
自分にとってのパーフェクトは他人にとって大した意味はない。
80点くらいで良いのだ。
今までも辛い仕事をしたことはあったけど、大した成果はなかったし、何とか乗り越えてきた。
さ、帰ろう。
簡素生活6ヵ月経過
以前の生活スタイルを変えて、簡素に暮らしたいなと思って、色々やってみて、半年くらいが経った。
仕事も変わったし、生活も変わった。
主にやってきたこととか、変わったことは以下のような事。
物(特に衣類)を減らした
物(特に衣類)を増やさない
運動する
家でご飯を作って食べる
野菜を多く食べる
仕事だけする生活をしない
基本的には最初の2つが簡素な生活に必要だと思っていて、あとのものは副産物的な要素のあるものなのかなと思う。
以前と比べると、ものは減り、ものに束縛されている感じはなくなった。ただ、最近またモノを買うようになってきたと感じている。
モノを減らすときは、使う物以外捨てると言う考え。
買うときは必要だから買う
となるのだが、ここでは本当に必要なものなのか、モノが増えるけどいいのか、代わりにモノを減らそう、などと考えたりする。
モノを捨てるときは割と分かりやすいので自分の考えも明確で、パートナー嫁にも理解してもらえた。
ただモノを買うときの考えはそれとは異なる。モノを増やすことや、要らないものを家に置くことに対してある程度の嫌悪感を持つというか、考えを持つ必要がある。簡単に言うと、ミニマリスト本を読むなりして、モノを増やさない(多い事はよろしくない)というロジックとエッセンスが頭にある必要がある。
嫁は本は読まない。モノをたくさん持つのが好きで毎週のように買い物をしている。モノを買う敷居が異様に低く、要らないものも要る(というか欲しい)、だから買うという事もよくある。
なので、簡素に暮らそうと考えるが一人ではないので、そう簡単にはいっていない。と言うのが現状だろうか。
スッキリというほど家のモノを減らすことはできていないけれど、半年でパートナーとの相違点に関して、許容できるようになった。と言うか、他人は変えられない事を再認識した。僕と彼女は別なのだ。
案外、そこに気付けたのは良かったかもしれないな。